069 Ogawa haritsuAzsacra1a

アツァックラ・ザラサストラの詩集『悪の蓮』は、
シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』と同じように衝撃的である。 シャルル・ボードレールの詩集は1857年に初めて出版され、象徴主義と現代主義の始まりを告げる詩集で、のちの詩人に与えた影響は多大であった。 アツァックラ・ザラサストラの詩集は衝撃的であるだけでなく、象徴的で慣習にとらわれない。このような点で、アツァックラ・ザラサストラは21世紀のシャルル・ボードレールであるだろう。 しかしながら、アツァックラ・ザラサストラの詩の理解を深め十分な鑑賞をするためには、読者は芭蕉の俳句と禅の真の知識を十分に持っていることが必要である。
書評として私はここで芭蕉の俳句のいくつかと禅にいくらか言及する。読者がザラサストラの詩を十分に理解し鑑賞を深めるための一助になればと思う。
第一に、2009年8月15日に秋田国際俳句・川柳・短歌ネットワークのホームページに掲載した記事 「芭蕉の蓮の花」 から芭蕉が詠んだ蓮の句に言及する。(http://akitahaiku.wordpress.com/2009/08-15/bashos-lotus-flowers/)
1688年芭蕉は名古屋市鳴海に住む、俳句の弟子下里知足を訪ねた。知足亭で次の句を詠んだ。
蓮池や折らでそのまま玉祭
芭蕉が訪問したその日、ちょうど玉祭(魂祭) が行われていた。先祖の霊を祭る盂蘭盆の行事として日本の仏教徒が行う宗教行事である。祭壇の玉棚の上にいろいろなお供えがあげられる。蓮の切り花もその一つである。 芭蕉の句は弟子の家の小さな池に蓮の花が咲いているのを見て、せっかくきれいに咲いているのだから蓮の花はそのままお供えすることにして折らないでおきましょうということを暗に示している。 第二に、世界的な仏教学者で禅の研究者として名高い鈴木大拙(1870―1966)著 『禅と日本文化』 の「禅と俳句」の一部に言及する。
古池や蛙飛び込む水の音
芭蕉が詠んだこの句を鈴木大拙は次のように解説している。
われわれの心が意識の表面で動いている限りは推理から離れられない。古池は孤独と閑寂を表象するものと解され、それに飛び込む蛙とそれから起こるものは、周囲を取り巻く一般的な永久性、静寂感を引き立たせ、これを増大する道具立てだと考えられる。   しかし、それでは詩人たる芭蕉は今自分らが生きているようにそこに生きていない。彼は意識の外殻を通り抜けて、最深の奥処に、不可思議の領域に、心理学者が考えるいわゆる無意識を超えた「無意識」の中に入っていったのである。
芭蕉の古池は 「時間なき時間」 を有する永久の彼岸に横たわっている。それはこれ以上 「古い」 もののない 「古さ」 である。 どんな規模の意識もこれをはかることはできない。 それは万物の生ずる所であり、この差別世界の根源であり、しかも、それ自身にはなんら差別を示さないものである。 「雨降って」 「青苔生ずる」 世界を超えるとき、われわれはそこに到るのであるが、これを知的に考えるときは、一つの観念となり、この差別の世界の外にまた一つの存在を持つことになり、これまた知性の対象となる。
直覚によってのみこの無意識界の無時間性は真に把握される。空の世界がこの日常五感の世界の外にあると考えられるとき、実在の直覚的把握はありえない。感覚的・超感覚的の二つの世界は別々のものではなく一つのものなのである。それゆえ、詩人が彼の 「無意識」 を洞察したのは、古池の静寂にはなくて、飛び込む蛙の乱す音にあった。これを聞く耳にあった。 この音がなければ、創作活動の源泉であり、すべての芸術家がその霊感を仰ぐところの 「無意識」 への洞察が芭蕉にはありえなかった。
分極作用が止まる、というよりもそこから始まるところのこの意識の瞬間を述べることは難しい。これら矛盾反対の用語をそこに適用すれば、どうしても論理的に不都合が起こるに決まっているからだ。実際この種の体験を有するのは詩人か宗教的天才であって、この体験の扱い方によって、それはある場合芭蕉の俳句となり、ある場合禅の言葉となる。(北川桃雄訳)
最後に、芭蕉の俳句についてのR.H.ブライスの解説に言及する。 R.H.ブライス(1898-1964)は 『俳句第三巻 夏―秋』 の中で次の芭蕉の句を取り上げた。
やがて死ぬけしきはみえず蝉の声
この句は二通りに受け取られる。 第一に、永久に啼くというわけではないことを示すようなものは蝉の啼く声には何らありません。その啼く声には「純粋な現在」、つまり永遠の今の性質がある。 第二に、蝉は近よりつつある死を気にとめず、何ら頓着しないで啼く。恐れず、希望を持たないで啼く。韻を踏まず、理性を持たないで啼く。蝉は啼ける間は生きて、生きている間は啼くのだ。啼く蝉の声こそ、蝉が自分を表す方法だ。
私の書評はR.H.ブライスの上記の芭蕉の句についての解説で終わる。略歴
蛭田秀法 : 1942年生まれ。
「天為」俳句会(主宰有馬朗人)会員。国際俳句交流協会(会長有馬朗人)会員。
秋田国際俳句交流協会創立者(http://akitahaiku.wordpress.com/)
AKITA HAIKUブログ開設者(http://akitahaiku.blogspot.com/)
俳句は下記のネットワークや俳句ジャーナルなどに掲載されている。

Asahi Haikuist Network by David McMurray, Simply Haiku, Haiku Pix Review, Haijinx, HI, and so on.

Japans journalHaiku(s) by Azsacra Zarathustra is here:
“世界俳句2013 第9号/World Haiku 2013: No. 9”
(Shichigatsudo, Tokyo, 1600 yen/15 USD/13 euro, March 2013)

http://www.cyberwit.net/publications/488

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